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2024/05/08
渡會将士スロートクラッシュ独占インタビュー
2022/04/17
Twitterから溢れた言葉
「推しを引き当てる」
Twitterで呟こうと思ったらどう頑張っても文字数収まらなかったので久々にブログ。
作詞作業中、鬼のように辞書を引きまくって、納得のいく表現を見つけたと思ったら、最初に思い付いた歌詞と全く同じだった、ということがある。
自分の感性には絶対的な信頼を持っているけれど、同時に全く信用していないので、この「辞書を引く」という行為はとても大切。
徒労に終わったとしても選んだ言葉に更なる質量を与えてくれる。
調べていた言葉の注釈から新たな言葉/表現が見つかるのもすごく楽しい。まるで「今日はカツ丼だー!誰がなんと言おうとカツ丼だー!」と勇み足で店に駆け込んだら、セットの御御御付けが身体にジャストフィットする優しさで解脱した、みたいな嬉しさ。
「御御御付け」の語源について語るのは我慢するけど
そもそも「辞書を引く」という言葉の「引く」という字は、
おみくじを引くように、言葉の海の中から一つの単語を手元に引き寄せる、というニュアンス。
投網漁のようでもある。
狙った言葉を見事引き当てるのが困難なように、
有象無象入り乱れる音楽シーンからお気に入りの「推し」を「引く」ことも困難。
推しを引き当てた人はとても勤勉な音楽好きか、とてもラッキーなのだと思う。
ただの言葉遊びだけれど、この「推してる」のに「引いてる」という矛盾が面白い。正反対のものは結構両立して存在している。
言葉の探求は常に新しい言葉の入り口。
音楽も常に新しさと共にある。いつまでも辞書を引き続けていたい。
でも明日レコーディングだから、作詞作業に戻ろう。ちくしょう。
2021/11/27
Welcome back !
2021、11月26日 下北沢シャングリラ 渡會将士ワンマンライブ。
こんなことってある?って感じのライブでした笑
久方ぶりの、フルバンド編成で挑んだワンマンライブ。
布陣は最強メンツ。
大きく分けると、前半戦は天才でした私、ほんと。
大人のライブしてました。
衝動に頼らず、コロナ禍からの再スタートを意識した、丁寧なライブをしてました。
メンバーは心強く、情熱と技術を見事なバランスで魅せてくれました。
でも後半から、急にね、笑 いろいろなことを思い出してしまって
このライブハウスで(元 下北沢ガーデン/現 シャングリラ)沢山ライブしたな、沢山ケンカしたな、沢山夢を見たな、死に物狂いだったな、全てを恨んで、全てを愛していたな、火星を目指したり、地球に帰ったり、とにかく彷徨っていたな、とか
色々思い出してしまって
そしたら急にエモさ爆発。
ブレチャでガナりまくってもほとんど喉潰さないくせに、私、急に歌が下手になってしまいました。火星を目指して一人でロケットエンジンブーストさせて、走りに走り、どこまでも突き抜けようとしてました。こんなことってある?って、自分で驚きながらひたすら必死に歌ってました。
ふと我に返ると、メンバーが「おいおい将士、落ち着け、ここは火星じゃない、New Schoolだヨ」と音で語ってました。
いやはや、お恥ずかしい、、、そして心強かった。
後で話したら、メンバーだけじゃなく、百戦錬磨のスタッフ達ですら緊張していたとのこと笑 そりゃぁ、こんな時代の中で、上限いっぱいまでお客さん来てくれてるんだもの。
みんな緊張しないわけがない。
ライブ前は緊張してなかったのに、ライブの中盤に緊張するとか、そんなことある?って自分でも思ったけど、終演後にみんなで「そうそう、ライブってこういうものだったね」と笑い合いました。
まさにみんなで踏み出した新学期でした。
この日を共有してくれたみんな、ありがとう。
これから出会うみんな、お楽しみに。
とてもいい日々が始まりました。
どうぞよとしく。
おかえり、ただいま。
※追記
朝起きて、スマホが無いことに気づき、アプリで探してみると、どうやら家の中にあるようで。
どこどこ?と探し回った挙句、一回諦めて、散歩でもしようかなと外に出たら、玄関前に落ちてました。
こんなことってある!?
2021/11/03
東京・試聴会チャット
2021/06/02
昔の絵が出て来ました
2021/03/28
電車の中で
電車の中で起こったこと。
おそらく、AはBが車内でマスクを外したことを注意したのだろう。
Bは片手にハイボールの缶を持っていて、Bも、Bの連れらしき女性も顔が赤かった。
AとBは静かな声で口論しながらヒートアップしていき、いつの間にか、どちらかが声を荒げ、その声は近くにいる人々の耳に入った。
僕もそこで初めて、AとBが口論していることに気付いた。
Aは何かを怒鳴り、Bは「お前弁償しろよ」と言った。
するとAは、溜まりかねた様子で非常ボタンを押した。
車内にアラームが響き、まだ気付いていなかった乗客もみんな事態を察し、AとBに注目が集まった。
電車はちょうど駅に着いたところで、ドアが開いた。
AはBをしばらく睨んでいた。
しかし、Aは電車を降りて行ってしまった。
一呼吸遅れて、「どなたか非常ボタンを押されましたか?」と呼びかけながら車掌がやってきた。
乗客の一人が「ボタン押した人、降りて行っちゃいました」と伝えると、車掌は慣れた様子で「すぐに発車します」と言い、踵を返した。
たったそれだけのことだった。
僕は思った。
●非常ボタンを押すと、こんな音がするんだなぁ、ということ。
●乗客の誰も、僕自身も、何が真実か、AとBのどっちが悪いのかなんて全く分からなかったが、とりあえず関わりたくないと思っていたこと。それが全員の総意だと肌で感じたこと。
●Aが非常ボタンを押すモーションがあまりにも手慣れていて、ゾッとしたこと。( 彼は素早く非常ボタンのカバーをスライドさせて、流れるような手つきでボタンを押したのだ。まるで初めからシュミレーションしていたか、あるいは手慣れた動作を行うようにカバーをスライドさせて、滑らかにボタンを押したのだ )
この件に関して何も言及するつもりはない。
フラストレーションが溜まりやすい季節と、時代と、社会と、コロナ禍真っ只中なのだから。
ただ、少し昔のことを思い出した。
アメリカ滞在中に、某国の方からこう言われた。
「日本の駅にはゴミ箱が置いてある。クレイジーだ」
意味不明だったので、「なんで?」 と聞いたら
「テロリストが爆弾を仕掛けるから」と言われた。
僕は「クレイジーなのはテロリストの方だよ」と返したつもりだったが、どうも真意がうまく伝わらなかった。
あれからしばらく経って、気が付けば、日本の駅からはゴミ箱がずいぶん減ったように思う。
僕が知らないだけで、非常ボタンは毎日押されているのかもしれない。
ずっと前から非常事態のアラームが鳴り続けていたのかもしれない。
そのことを、僕は悲しいと思ってしまう。
甘いのだろう。
だろうか?